2008年1月の毒まつたけ


01/01()【初救急車】
01/09(水)【ちょとこわいはなし】
01/10(木)【心霊現象について】
01/13()【バブルへGO!! タイムマシンはドラム式】
01/14()【おみくじ】
01/19()【独り暮らし】
01/23(水)【エイリアンVS.プレデター】


2008年1月1日(火)
 えっとですね、元日は生まれて初めて救急車のお世話になりました。

 おとうとくんはまだ帰省してないし母様は御近所の神社に当番でかり出されてるし、たぶんはじめて大晦日ひとりぼっちだったもんで寂しくなっていつもの飲み屋さんに行ったところ、うっかり飲みすぎてしまい、どうも昏倒したらしいです。
 まったく記憶にないんすけど頭をかなり強く打って気絶したとか。眼鏡の右のツルがブチ壊れてます。
 気がついたら、救急隊員のひとらとかが倒れてる俺を見おろして「だいじょうぶですかー」とかゆってて、なんか映画によくあるカットみたいでした。すごいフィクションぽかった。
 そのまま救急車で病院につれてかれてCTスキャン。そして生食を小一時間点滴。
 まあ特に異常はなかったみたいなんすけど。9千円強かかりました。
 そのあと病院からタクシーで飲み屋さんに行って支払いとか済ませました。もう朝の7時ぐらいですよ。
 店長曰く、大晦日は毎年なにがしかの事件が起きるんですって。今年は俺だった。

 らもさんが亡くなったときもこんな感じだったんと違うか、と思ったらさすがに反省しました。

 とりあえず、あけましておめでとうございます。


2008年1月9日(水)
 ヒゲソリの刃と歯磨き粉おろした。寿命測定用メモ。

 こないだ飲み屋さんで倒れて頭打って救急車で運ばれた件について後日ふと気づいた話。

 そのお店て、いわゆる霊感のあるひとが来るとどのひとも必ず「あそこらへんにいる」みたいに言う場所があるらしくて、それはトイレのドアから1〜2歩ぐらい店内がわに入った地点なんすよ。
 ゼンゼン記憶に無いんすけど、俺、倒れたとき、席からトイレに向かってふらふら歩きだしたみたいなのです。見てたひとの話によれば、あー、トイレに行くのかな、と思ったら突然くるりとこちらを振り返って後ろ向きに倒れたとか。

 後でよく考えてみたらそこが「あそこらへんにいる」場所だったんですね。
(>_<)キャー

 その少し前、尿意をもよおしてトイレ入ろうとしたところ塞がってたから外で用を足そうと店の外に出ました。ここまでは記憶にある。
 次の瞬間、俺 、駐車場の真ん中で_| ̄|○な感じでウズラみたいにうずくまってて、心配して様子見にきてくれた一緒に飲んでたおにいやんに、こんなとこ居ると風邪ひきますよー、みたいに介抱されてました。どのぐらいの時間が経過してたのかわからない。駐車場に足を踏み入れてからそこまでの記憶がまったく無いのです。
 んで、相当寒いはずなのに、ゼンゼン寒くないんすよ。ちょうど涼しいぐらいでこのままこの場所で眠れるな、て感じだった。真冬の真夜中深夜2時過ぎのアスファルトの上ですよ。おにいやんがせっかく店のなかに連れ戻そうとしてくれてるのに、しばらく動けなかった。わりと普通に歩けることはわかってるのに何故か立ち上がれない。

 後で思い出したんすけど、その駐車場は昔飛び降り自殺があった場所だったんですね。
(>_<)キャー

 なお俺は幽霊とか因縁とかは物理的には存在しないと考えてますので念のため。ただしそれらは人間の心の中には存在するので、現象としてあるかないかと言えばまああると言っても間違いというわけではないと思っています。

【買った本(2008年1月2日)】
 フィリップ・K・ディック『去年を待ちながら』(創元SF文庫)←ブクオフ350円。

【Amazon購入本(2008年1月6日)】
 ニール・アッシャー『超人類カウル』(ハヤカワ文庫SF)
 東和広『ユキポンのお仕事』13巻(講談社)


2008年1月10日(木)
 昨日のついでにちょと心霊現象についての話。

『カール・セーガン科学と悪霊を語る』(文庫化時のタイトルは『人はなぜエセ科学に騙されるのか』)という本がある。タイトルからも分かるように心霊現象に対して否定的なスタンスの本。ただ、情報は提示するけど結論はじぶんで出してね、みたいなところがちょっと変わってるし冷静で誠実な態度だと思う。
 さてその本の中に、セーガン自身は間違いだと判断してるけど真実である「可能性がある」不思議現象として3ツのことがらが挙げられている。以下引用。

(1)頭の中で考えるだけで、コンピューターの乱数発生機構に(かろうじて)影響を及ぼすことができる。
(2)感覚をいくらか遮断された人たちが、自分に「向けられた」思考やイメージを受け取ることができる。
(3)ときに幼児が前世のことを話し出すことがあり、調べてみると、生まれ変わりとしか考えられないほど詳しい記述である。

 本の中では「可能性がある」という見解に至った具体的な理由は何故か述べられていない。それでも、あー、セーガンさんがそう言うのならまあそういうことはないとも言い切れないんだろうな、と読んだ当時思った。あのカール・セーガンがおっしゃることだもの。

 俺が特に強く思っているのは項目(1)についてで、セーガンが言っているイミとはちょと違うかもしらんけど、人間の脳は電気回路内の量子力学的なスケールで生じている事象の確率を乱すことができるのではないだろうか、と考えてる。その結果、電子機器が誤作動することになる。電気回路って、設計時には量子の不確定性を踏まえた上でシミュレーションして、このぐらいの幅をとっておけばおおむね一定の動作をするだろう、みたいな意外にアバウトなところあるじゃないですか。人脳が量子コンピュータだとすると、世界が分岐するとき、近くの電気回路内で生じている分岐も一緒に持っていけないこともないような気がする。イーガンの『宇宙消失』で示されていたアイデアの規模をもっと小さくしたような感じで。極めてスペックの高い脳によりその規模が大きくなったものが聖人などが起こすとされるいわゆる奇跡というものではないだろうかと考えてる。

 俺は、分裂病、もしくは分裂病様状態にある人間の周りではどうも電子機器の誤作動が多いように感じている。じっさい俺自身もそういう状態のとき、今までいちども止まったことのないSFCのゲームが突如フリーズしたり、いろいろ体験した。
 以前、姉がかなり強い霊能だという女のコに、お姉さんの周りではテレビとか誤作動しない? と試しに聞いてみたこともある。その通り、とのことだった。あまりにも故障しすぎるので、彼女の実家にはTVが置いてなかったそうだ。
 そういうわけで、脳が電気回路に何らかの影響を与えるということはどうもあるっぽいと判断してる。

 俺がいわゆる霊という存在に対して否定的なのは、なによりもまず、その情報が空間のどこに保存されているのか見当がつかないからだ。どこに? エーテルに? そんなもんあるの?
 そして、もし霊というものが存在するのであれば、ほとんど唯一その情報の保存場所としての可能性があるのが、脳だと思っている。

 霊が脳に記録されるとすれば、そこから電気回路に何か影響を与えることもありうるのではないだろうか、と。記録されると言っても、いわゆる霊が人格としてそのまんま頭の中に居るわけではなく、霊についての情報を持った人間としてその脳の持ち主が存在するだけなわけで、不思議な現象を起こす主体はあくまでその脳の持ち主なんだけど。

 とりあえず現状ではそんな世界観を持っとります。わけのわからん話ですまんす。


2008年1月13日(日)
 録っといた『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』観たよ。
 ちょいアホおねえさんがバブル崩壊をくい止める使命を帯びて17年前にタイムトラベルする話。
 タイムマシンものとして不可解なところがあって、そんだけで厳しいす。加えてリアリティの匙加減が実写映画としてはいかがなものかと思ってしまった。たいへん厳しい作品でございました。これがもしアニメーションなら決定的な場面でアホみたいなドタバタやるのもまあ許せたかも。
 主演の広末涼子も俺個人的にはとても厳しかった。いや、とてもかわいいのは認める。しかし、役者的にすーごい必死な感じ(キャラクター的にじゃなくて)がめいっぱい出てしまってて、観るほうとしてはソワソワするしかなかった。
 総合的に言うと、ひでー映画でした。
 ところがただ1点、ただ1点だけものすっごい琴線に触れた場面があって、そこで俺ほろほろ泣いてしまったのです。阿部寛がじぶんにとってたいへんショッキングな事実を知ったとたんに、突如今までとは別人のようになるあたりのくだりなんすけど。
 映画とか小説とかでは、作品内でキャラクターの変化の瞬間を描くのが作法として不可欠に近いものすごいだいじなことだと俺は思っとります。申し訳ないけど途中まで観た限りではこの作品に対してはそんなもん期待してなかったから、不意を打たれた。
 なので評価は+10点。あと、阿部寛はとても優れた役者だと思った。(評価:50点


2008年1月14日(月)
 熱田神宮まで行ってきた。初詣。
 名古屋近郊に住んでいながらここには確かいちども行ったことない。モノゴコロついてない頃はどうだか知らんけど。とゆうか初詣自体俺ほとんど行く習慣を持ってない。行ったのはここ20年間で2回か3回ぐらいかな。
 なんかよくわからんけど今朝目が覚めたら急にお参りしたくなって、行くことにした。
 失礼になるといかんからちゃんとバリカンで頭刈って入浴してヒゲ剃って行ったよ。服も上着以外は洗濯ずみのやつおろして行ったよ。
 参拝のあとでおみくじひいた。
 大吉キター!

 万事意のままに整い進む大吉の運なり (≧∀≦)キャー
 願望 思いのままになる (≧∀≦)キャー
 商売 利多し (≧∀≦)キャー
 争事 勝つ (≧∀≦)キャー
 開運色 青色 (ΦωΦ)ドラゴーンズ

 ひいたあとのおみくじのあつかいに関する作法に自信がなかったもんで熱田神宮のひとに聞いてみた。結んだりしなくてもべつによいそうだ。一般的にもそうなの? て聞いたら、そう、てゆってた。そんなもんだったのか。とゆうわけで、おもちかえりした。

 大須で買ってきた葉巻(1本千円)をほろ酔いかげんでふかしながらTVをザッピングしてたとき、お笑いの山本(ロバート)のボクシングプロテスト挑戦のバラエティに目が止まった。たまたま目にしただけなんだけど。数分したら目が釘付けになった。そして、びっくりするぐらいボロッボロ涙が出た。

 たいしたフィジカルも持ってないのに加えて、俺らなんかよりずっとハードなスケジュールなんだから、プロテストはあきらかにムリなんだよ。それが大前提。そんなことはちょっと知性のある人間なら誰でもわかってる。ディレクターもたぶんわかってる。
 でもコイツたぶんじぶんの自由時間とかほぼゼロにして1年間頑張ったんだよ。お笑いとしてはロバートの中でコイツだけパッとしてないから。やるしかないんだよ。
 その結末がこれだ。
 ロッキーだよこれ。

 俺、TVのバラエティなんてインチキ満載だからゼンゼン評価してないんだけど、これはそんなこともなく、たぶん10年に1本ぐらいの傑作だと思った。

 良い作品だった。そんな感じだ。良いものをみた。ありがとう。


2008年1月19日(土)
 ちょっと急な諸事情により今日から突然の独り暮らしになりました。早く慣れよう。このまま死ぬまでひとり、てのもけっこうありうる話なので。
 あ。今回の件は特に身内に不幸があったとかそんなマイナスの事情じゃあないす。むしろ良いほうの話すね。

 今使ってる洗濯機はめっさ古い二槽式のなもんで、こら新しいの買っとかんとマズイということで速攻で電気屋さん行った。いろいろ聞いてみたところ全自動のんは屋外には置かんほうがいいみたいでしょんぼり。いきなり出鼻をくじかれた。

 しかしウチの中が静かなのはけっこうさびしいもんすね。

 アニメの『のらみみ』が予想してたよりいい感じ。無論、原作には及ばないけど。
 墓場鬼太郎もけっこう良かったな。
 両方とも毎週観よう。

 そんな感じで。たぶんしばらくの間はテンション低いす。

【買った本(2008年1月16日)】
 久住昌之谷口ジロー『孤独のグルメ』(扶桑社文庫)


2008年1月23日(水)
 録っといた『エイリアンVS.プレデター』観たよ。
 南極大陸の遺跡で、プレデター×エイリアンの闘いに人間が巻き込まれる話。
 ごめん俺これけっこうおもしろかった。
 なんかこう、プレデターという種族がえらい愛らしく思えた。最後付近で。
 シリーズ最初の作品同様、プレデターは今回も下等生物の原住民である人間を戦士として認める。あげくのはてに、通過儀礼に使う遺跡をアレしてしまう。まー、未成年だからそこらへんのおかしな判断はしかたないのかもしらんけど。
 んで、儀式を見守ってた年長者も、その行為に対してはなんも咎めないで、それどころか、生き残った人間の戦士に、オマエよくやった、みたいな態度で接する。
 バカだ。
 でも戦士とかサムライとかは、バカでいいのだと思う。昆虫とは違うんだから合理的でないほうがかっこいい。なんつーか、俺はそおゆうところに局所的なエントロピーの減少を感じて心打たれるのです。
 異文化に属するもの同士が闘いという場で交流することになるその理由が、バカだから、てのも良いんじゃなかろか。戦士のプライドは宇宙共通。シンプルなコミュニケーション。それがプレデターという作品の芯だ。(評価:75点

 確か1996年の正月ぐらいだったかな。
 夜、TVでエイリアン2が放送されてる最中、まだちっちゃかったうちのねこは俺の膝の上で食い入るように画面を見つめてた。あんましTVには興味を示さん子なのでそおゆうのは珍しかった。俺、親馬鹿なもんで「ミルキー(←ねこの名前)しゃん、エイリアンさんはこわいこわいねー(*´Д`)」とか言いながらずっと一緒に観てた。
 んで、それから約10年、うちの子はすっかりおじいちゃんになってしまったけど、今回AVP観てるときも何故かそおゆう状態になった。ほんと、TVはあんまし観ない子なのに。
 どうもエイリアンにはうちの子の琴線を刺激する何かがあるらしいです。


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