ボーイ・ミーツ……

 

 遺書は書いた。部屋も整理した。そして、駅のホームで、そこを通過する新型の新幹線にとび込もうと足を一歩踏み出したそのとき、誠は後ろからぎゅっと襟首を掴まれた。振り返ると、黒い革ジャンを来た見知らぬ女が、少し怒ったふうな顔をしてそこにいた。身長が誠と同じぐらいのわりと大柄な女だった。襟を掴まれたまま下り階段のそばまで引っ張ってゆかれた誠は、その場所で強烈な平手打ちを食らわされた。
「ばかやろう」
 そう言った女は誠の手を握り、階段を降り、改札のほうへ凄い勢いで歩きだした。途中で我に返った誠が女の手を振りほどくと、女は惰性で三歩進んでから振り向いた。
「なにするんですか」
 誠が打たれた頬に手を当てた。色白の顔がそこの部分だけ赤くなっていた。ここまで激しく叩かれたことは今までいちどもなかった。
「とび込んで死のうと思ってただろう」
 不思議だった。襟首を掴まれた場所は、ホームの真ん中あたりだった。飛び込む寸前ではなかった。どうして分かったんだろう、と誠は思った。
「どうして――」
 小さな声は途中で遮られた。
「さっきからうろうろしっぱなしだったじゃないか。荷物を持っていない。最初の一歩の動きが不自然だ。列車の待ち時間も長すぎる。ほかにもいろいろ。とにかく、おまえはおおばかやろうだ」
 誠は目を伏せて黙り込んだ。
 女は溜め息をついてから頭を掻いた。
「ごめん。言いすぎた。ばかやろうはないよな」
「いえ。いいです。……ただ……ただ、なんて言っていいのか……」
「メシ食いにいこ」
「え?」
「昼メシだよ。腹、減ってんだろ」
 ちょうど、誠の腹が鳴った。

 駅を出て、しばらく歩いた。午後二時過ぎだった。女につられるまま、誠は歩いた。古本屋の隣にある駅裏の喫茶店にふたりは入った。誠が入ったことのない小さな店だった。客はひとりもいなかった。いちばん奥の席にふたりは座り、ふたりともサンドイッチとホットを頼んだ。無口なマスターはすぐにツナサンドをふたつ持ってきた。
「食べなよ。おごるからさ」
「あの……」
「喋らなくてもいいよ。女にふられたんだろ。あとは、大学受験。春先の軽いノイローゼだ。違うか?」
「どうして分かるんですか」
「分かるんだ、としか言いようがない」
「心理学ですか」
 女は微笑んだ。
「少し違うけど似たようなもんだ」
 誠は初めて、目の前の女をじっくり見た。黒い革ジャンの下の白いTシャツは、大きな胸で膨らんでいた。かなりいいスタイルだった。長い黒髪はストレートで、肩まであった。魅力的だった。歳は……正直なところ、何歳か分からなかった。見た目ははたち前後だったが、何かが違っているような気がした。いったい何歳なんだろう、でも女性に歳をたずねるのは失礼かもしれない、と、誠は思った。
「いいよ。聞いてみなよ」
「え?」
「聞いていいことかどうか迷っているときは両目が左下を向くんだ」
 誠は怪訝そうな顔になった。心理学か何かの応用でボディ・ランゲージを読み取っているのか、と思った。なんにせよ、目の前の女に対して興味がわいてきた。
「あの、歳、いくつなのかなあ、と思って」
「歳は、秘密だ。名前は、マコ。みんなはマコちゃんとかマコさんとか呼んでる」
「あ。ぼくの名前も、誠って言うんです。同じですね」
「そうか。それは、縁がある、ってことだな」
 サンドイッチを口いっぱいに頬張りながらマコが言った。ばくばく食べるその姿が、小食な誠にはなんだか魅力的に見えた。そして、自分が片思いの女にほんの半月前にふられたばかりだということを思い出し、また少し落ち込んだ。
 誠は何か言おうと口を開きかけた。けれども言葉が出てこなかった。
「喋らなくてもいいから。分かってる。とりあえず、それ、食え。食ったら一緒に映画行くから。好きだろ、映画。色、白いもんな」
「でもどうして……」
 どうして見ず知らずのぼくに、と誠は言いかけた。
「縁がある、って言ったろ。この世の中がもっと楽しいもんだ、ってこと、教えてやるよ」
 コーヒーを大きくすすり、マコは大きな目でウインクをした。誠は魔法にかかった。

 地下鉄を乗り継いで、駅から少し離れた映画館に行った。市内の中心部からややはずれたところにある劇場だった。隣には大きな公園があった。
「ほら。ナイスタイミングじゃん」
 建物には、四つの劇場があった。ひとつは、ロードショーの話題作を上映する大きなもので、ふたつは、中程度の劇場だった。そのほかにもうひとつ、自主上映作品のようなものを上映する小さな劇場があった。中規模劇場のうちひとつに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のパート1・2・3がリバイバルでまとめてかかっていた。
 ちょうどあと五分でパート1が始まる時刻だった。ふたりは入場券の自販機の前に立った。もう誠はマコに手を引かれてはいなかった。ちょっと見たところ、けっこう気の合っているつきあいたてのカップルのように見えた。
 マコが自分の財布を取り出そうとした。
「あ、いいですよ。ぼくが出しますから」
「いいってば。あたしがおごるからさ。金ないんだろ、浪人生」
「だって、かっこわるいじゃないですか。こういうときは男のほうが出すんです」
「かっこわるいっていったって、誰も見てないぜ。自販機だもん」
「それでもかっこわるいんです」
 誠は機械に札を挿入し、ふたりぶんの券を買った。そして顔を少し赤らめながら一枚をマコにわたした。誠の財布には、ハードカバーの本を一冊買えるぐらいの金しか残らなかった。
「赤くなっちゃってさあ。やっぱり、可愛いよ、おまえ。そんなにウブじゃ、女の子とキスしたこともないんだろうな」
 マコが嬉しそうな顔をした。
「からかわないでください」
 誠の顔はさらに赤くなった。

「いい映画ですよね。ぼく、これ三回も観ました。今ので、四回目」
 夜十時すぎだった。もう外は真っ暗だった。ちゃんと3まで観たあと、近くのコンビニでおにぎりとお茶を買った。劇場の隣の大きな公園のベンチにふたりで腰掛けた。空にはめずらしく星が見えた。
「あたしは……六度目か七度目かなあ。あんまり何度も観たから忘れちゃったよ」
「そんなに! 負けたなあ」
「くやしい?」
「うーん。マコさんに負けたのなら、あんまりくやしくないです」
「うそつけ。少しくやしいくせに」
 言ってマコは笑った。つられて誠も笑った。
「クリストファー・ロイド、いいですよね」
「あの博士だろ。いいよな。少しイッちゃってて。でも優しくて」
「タイムマシンもの、好きなんです」
「あたしも好きだぞ。わくわくする」
 誠がにやりとした。
「じゃ、とっておきの話します」
「なに?」
「タイムマシンの話」
「聞かせてよ」
「時をさかのぼること、できると思いますか」
「さあな。誠はどう思うんだ」
「できないと思います。少なくとも、ぼくが生きているうちには、ぼくはタイムマシンに乗れない」
「どうして」
「小さいころ、考えたんです。もしタイムマシンができたとして、ぼくならどうするか? ぼくなら、必ずぼく自身に会いに行きます。でも現れなかった。だから、少なくとも、ぼくがタイムマシンで時をさかのぼることは、できないんです」
 マコは少し考え込んでいるように見えた。
「どうかなあ。ひょっとすると、まだ未来の誠が現れる時じゃないのかもしれないぜ」
「それもないです。ちょうど中学校の入学式に現れる、ってそのとき決めましたから。でも現れなかった」
「それ考えたの、いつ?」
「小学三年のとき」
「くだらないこと考えてるなあ」
「くだらないこと、考えるの好きなんです」
「あたしも好きだ」
 言ってマコは、座ったまま、お茶の空き缶を一〇メートルぐらい向こうにあるごみばこに投げた。缶は見事に、からん、と音を立てて入った。
「ストライク!」
 マコは指をパチンと鳴らした。
「すごい。入りましたね」
「誠もやってみろよ。絶対に入るから」
「え、でも、ぼく身体動かすの苦手で……」
「いいから、やってみなって。絶対に、入るから。絶対に」
 誠はやりたくなさそうに立ち上がり、モーションをつけてから缶を放った。放物線を描いた缶は、ぴったりごみばこの口の真ん中に吸い込まれた。
「あっ」
 誠は思わず声を上げた。入るとは思っていなかった。何かが妙だった。まるで、最初から入ることが決まっていたみたいな感じだった。
「ほら。入ったじゃん。――タイムマシンの話、続き、いいか?」
「え……ええ」
 ぽかんと口を開けてごみばこを見ていた誠は、そう言われて腰をおろした。
「なあ、中学の入学式のとき現れなかったのは、他に何か理由があったのかもしれない、とは思わないか」
「理由?」
「そう」
「例えば?」
「それはおまえが考えるんだ。あたしはひとつ考えついたぞ」
「どんなのですか」
「ヒントなら教える。誠は、タイムマシンって、どんなのを考えてる? 大きさとか、形とか」
「え? そうだなあ、映画に出てきたみたいなクルマぐらいのサイズで……とにかくひとがひとり以上乗れるやつ」
「他には?」
「えーっと、例えば時間をさかのぼることができる動物に乗るとか」
「そんなSF、あったな、そう言えば」
「SFも好きなんですか」
「あたりまえだろ。で、そういう動物って、どうやって時を越えると思う」
「どうやってって……うーんと……精神力かなあ。あ。そうだ。人間がそういうことするSFもありましたね。テレポートするやつ」
「あったな。行き先をはっきり記憶しておかないと、テレポートできない、ってやつ」
「時を越えるのも同じかもしれないですね。だから、中学の入学式なら印象的でインパクトあるかなあ、って思ってそこに決めたんですけど」
「インパクトか。意外にそれが弱かったのかもな。もっと強い瞬間があったら、成功するのかもしれないぜ。さて……」マコが立ち上がった。「魔法を見せてやる」
「魔法?」
「ああ。魔法は信じるか?」
「ヒロイックファンタジーに出てくるようなやつなら、あんまり信じませんけど。でも、十分に発達した科学は魔法と区別がつかない、って言いますよね」
 マコは公園の中の一本の木を指さした。グラウンドの向こう、五〇メートルは離れたところにある大きな木だった。
「ここから動かずに、あの木を真ん中から折る」
「まさか!」
 その木は、大人がちょうど手をまわせるぐらいの幹の太さがあった。
「だから、できたら魔法なんだ」
 マコがじぶんの腕時計を見た。誠が今までにみたことのない形の時計だった。マコは、ほのかに発光しているデジタル数字をしばらくの間にらんでいた。
「よし。やるぞ。カウントダウン。五……四……三……」
 考えてみればばかばかしい話だが、何故だか誠はそれが冗談に思えなかった。じっさい、マコの声に合わせて目の前の木が真っ二つになってもおかしくないような気がしてきた。さっきの空き缶がごみ箱に入ったように。
「……二……一……ゼロ!」
 木の真ん中が凄い音をたてて弾けた。
「うそ!?」
「ほらな」
「でも、そんなばかな!」
 爆弾でも仕掛けておいたのか、と誠は思ったが、まさかそんなむちゃくちゃなことはしないだろう、と考え直した。
「行ってみれば分かる。種明かししてやるから」
 呆然としている誠の手を引っ張って、マコは木のそばまで行った。既に何人か、ひとが集まってきていたが、警戒して近づかないようだった。マコは堂々と木に近づいた。
「ほら」
 マコは言って地面を指さした。子供の頭ぐらいの何かが木の根っこのそばに小さなクレーターをつくっていた。
「あっ、隕石?」
「そう」
「でもどうしてこの時間に……あっ!」
 どうして、この時間に隕石が落ちることが分かったの、と言いかけて途中で気づいた。頭に浮かんだのは、さっき観た映画の一場面だった。映画の中の落雷は、隕石に変わっていた。
 誠のそばに正面からマコが近づいた。目と目が合った。同じ目をしていた。
「そういうわけだ。誠だから、マコだ」
 誠の顔の前三〇センチの距離でマコが言った。
「信じられない」
「インパクトあるだろ? でも、それだけじゃ足りないんだ」
 すっ、とマコが動いた。マコのくちびるが誠のくちびるにそっと重ねられた。見物人に見られるまましばらくそうしていた。
「初めてだろ」
 くちびるをはなしたマコが言った。
 しばらく誠は口がきけなかった。どうして女なのか、会った時間と今の時間がどうしてずれているのか、今後、自分の人生がどうすすんでこうなるのか、いくつもの疑問が頭の中をぐるぐるかけめぐった。マコは、誠が今それを考えているということを知っていた。言葉は不要だった。
「時期が来たら分かる。とりあえず、一生懸命勉強して、理系の大学で化学をやれ。突然、化学式が浮かぶんだ。メンタルな部分に作用する薬物の。それが鍵だ。時の秘密に触れるキーなんだ。時間のうねりを認識するためのツールだ」
 マコはくるりと向こうを向いて歩きだした。
「待って!」
 誠が言った。聞きたいことだらけだった。マコは振り向いて、誠に聞こえるように少し大きな声で言った。
「全部知っちゃったら、つまんないだろ」とびきりの笑顔をマコは浮かべた。「この世の中って、お前が思ってるより、ずっと楽しいものなんだぜ」
 マコはまたゆっくりと歩きだした。誠はそのまま立ち尽くしていた。
 マコの姿が人にまぎれて見えなくなった。
 誠の顔に笑顔が浮かんだ。わくわくしてきた。
 星空を見上げた誠は、振り向いてゆっくりと歩きだす。

【おしまい】

一九九五年五月一日〜一九九五年五月一〇日(〜一九九八年六月二一日)

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