箱の中身

 

 夜中に目を覚ますと、なにかえたいの知れないものが枕元にいた。全体にぬらぬらしている小さな塊で、少し頭の大きな蛙に似ていると言えなくもない。ゆがんだ手足のようなものが七・八本でたらめについていて、たまに痙攣している。それは、叫ぶような調子で、よく聞き取れない断定形の言葉を繰り返し繰り返し、「――だッ! ――だッ!」と、しゃっくりのように発していた。
 あまりうるさいので起き上がって明かりをつけると、いなくなった。時計を見たら深夜四時だったので、もうひと寝入りすることにした。

 日曜の昼、着替えてから階段を降りると、母が廊下に何個かダンボール箱を並べ、中を整理していた。すれちがうとき、かがんだ母の肩ごしにちらりと覗いてみる。半年ほど前に死んだ祖母の持ち物のようだった。祖母は、なんでも捨てるのを惜しむ気質だったらしく、布の切れ端や、デパートの紙袋などが、その他雑多なものといっしょくたにぎっしり詰められていた。いつか役にたつかもしれない、と思ってずっととっておいたらしい。
「いらないものだけ捨てておかないと」
 と母が言うので、曖昧に頷いてから玄関を出た。

 劇場を出たあと、中央公園のベンチに絵美と腰をおろした。煙草に火をつける。お互いに黙っていた。絵美はふだんからあまり喋らないほうだが、ここ二週間ぐらい、ふたりで会っているときにはさらに無口になっている。
 日曜の午後だからか、家族連れが目立った。餌をついばんでいる鳩の群れを子供が追い回している。
 目の前の並木道を若い夫婦が静かにゆっくり通り過ぎた。二歳ぐらいの子供を乗せた乳母車を、夫のほうが押している。婦人のほうはお腹が大きかった。たぶん、ふたりめの子供になるのだろう。
 吸い終わった煙草を靴で踏み消してから、立ち上がり、
「行こうか」
 と言うと、ええ、と言いながら絵美が腰を上げた。
 そのまま絵美が乗る電車の駅まで一緒に歩いた。ふたりで夕食をとってからどこかで一泊してもよかったが、なんとなくそんな雰囲気ではなかった。
 改札の前での別れ際、絵美が何か言いかけたようだったが、聞き返すと、なんでもない、と言ってそのまま黙って行ってしまった。

 家に帰ると、玄関の前に、けっこうな数のダンボール箱が積み上げられていた。結局、祖母の持ち物はほとんど捨てることにしたようだ。
 靴を脱ぎ、階段を上がろうとすると、廊下の隅にひとつだけダンボールのりんご箱が置いてあるのに気づいた。開けてみる。
 ゼンマイ巻きの目覚まし時計や、手縫いのお手玉や、うすいピンクをしたプラスチック製の箱や、樫の木のようなものでできたわりと味のある小さな古い箱などが入っていた。なんとなしに捨てにくいものや、アンティークっぽいものは、捨てずに残すことにしたらしい。
 プラスチックの箱を開けると、中には裁縫道具が入っていた。針も糸も糸通しもきっちり整頓されているのは、祖母の性格によるものだろう。
 煙草入れぐらいの大きさの樫の木の箱も開けてみようとする。開かなかった。何か接着剤のようなもので蓋がくっつけられてしまっているらしい。横にしたり、ひっくりかえしたりしながら改めてみてみるに、装飾は全て手彫りのようで、あるいは値打ちもののように思える。
 頑張れば開きそうな気がしたので、そのままぎしぎしやっていると、不意に蓋がはずれた。
 かなり変色した脱脂綿の上に、ひからびた茶色いものが乗せられていた。小指の先ぐらいの大きさだった。他にはなにも入っていない。何かの動物の標本のようにも思えたが、あまりに古過ぎてなんだかよく分からないので、そのまま蓋を閉じてダンボール箱の中に戻した。

 その日以来、絵美とはいちども会っていない。

【おしまい】

一九九七年一〇月六日〜一九九七年一〇月七日

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